十二月二十五日
”一緒に死にませんか 東京”
___僕はその日、イブなのに激務を任されていた。残業代など出ない、真っ暗な会社で。珈琲をひと口飲んでパソコンを閉じる。それからコートを羽織って、マフラーを巻いて会社をあとにする。外ももうすっかり暗かった。芳ばしい匂いと煌々としたネオンが残る街を抜け、帰宅するともう1時を過ぎていた。テレビを付ける。どのチャンネルも「メリークリスマス!」と言っていた。この時間まで忙しい、特番ばかりのようだ。真っ赤な帽子を被ったアナウンサーを遠目に見ながらビールをあけると、ふと、死にたいな、と思った。死にたい、死にたいな。
世間はこんなに賑やかなのに、馬鹿みたいな幸せに包まれているのに、僕は、いったいなんなんだ。いつから、クリスマスを待ちわびなくなってしまったのだろう。
携帯を手にして、ツイッターを開く。フォロワー73人の、僕の愚痴垢。ビールを飲みながら書き込む。
「クリスマスも残業だった。22歳、ブラック企業勤務、彼女なし。ほんと死にたいな。」
ツイートしたあとタイムラインをみた。チキン、ピザ、ケーキ、恋人からのプレゼント。それらで溢れていて、不幸で悲しいツイートはひとつもなかった。僕の憎しみに近い希死念慮が頭に渦を巻いてゆく。そのとき、通知マークが光った。
あすかさんがいいねしました。
___あすか?FF外だった。なんとなくアカウントを見に行った。
プロフィールは"あすか。17歳。疲れた"。最新ツイートが目に入る。
”一緒に死にませんか 東京”
一瞬、背筋が伸びる。一緒に死にませんか?自殺仲間を探しているのか?そのままいいね欄を見ると、僕のツイートのほかに、
「クリぼっち死にたいよぉ」「レポート出し忘れた死にたい」「もう1時なの無理〜死にたい」
とかで埋まっていた。"死にたい"と書かれたツイートを片っ端からいいねしている様だ。
死にたいのか。僕も死にたい、僕も死にたいよ。この幸福そうなツイートしかない中で、彼女も僕と同じだ、と思った。彼女も、死にたい人だ。このクリスマスに。
話したい、と思ってしまった。脈がドクドクと音をたてる。
「こんばんは。僕も、死にたいです」
小刻みに揺れる手で、ダイレクトメッセージを送った。直後、ビールを飲み干す。なぜか、緊張していた。すぐに返信がきた。
「死んでくれますか?私と一緒に」
彼女は、すぐ死ぬことを聞いてきた。僕は、死にたいからと言って、今すぐ死ぬ気ではなかった。第一、死ぬのが怖かったのだ。けれど、彼女と話してみたいと強く思ってしまった。
「死にたいです」
と送る。冷や汗をかいていた。もし本当に一緒に死ぬことになったら、どうするんだ、と、感情が揺蕩う。
「東京ですか」
「ええ、中野です。」
「妙正寺川の交番の近く。午前2時です。柵に紐をかけて、首を吊ります。」
ここから徒歩5分も無い場所だった。死が、急に現実味を帯びる。
「今日ですか。もういるのですか?」
焦りながらそう送る。返信が無かった。2時まで、あと10分もなかった。
行こう、と思った。まだスーツを着ていたが、その上にコートを羽織る。
"死ぬやつは死ぬ時死ぬなんて言わない、黙って死ぬ"なんて誰かの言葉を、何故か思い出していた。彼女、本当は僕に助けて欲しいのかもしれない。いや、そう信じたかった。
自宅のマンションから一気に走った。酒が回る。頬が火照っているのがわかる。息が熱い。水が飲みたいと思った。あと7分。交番の前に着いた。交番の横に回ると、ちょうど死角になる位置に、人影が見えた。柵に縄をかけ柵に股がっている。彼女だった。走る。彼女に近付いた。一瞬目を見開いた彼女は、上がった眉毛をゆっくりと下げながら、
「死にたいひとですか?」
と聞いてきた。
彼女は長い髪の毛に、暗闇でもわかるほど細く、色白な肌をしていた。綺麗な顔をしていた。こんな子が死ぬなんて、とふいに思った。
僕が肩を震わせて呼吸を整えていると、それを気にせず彼女は続ける。
「ロープ、もう一本もってきたんですよ。ほら、どうぞ。」
あ、ちょっと、と戸惑う僕を横目に彼女は、首に縄を括る。
「ここなら交番の横ですから、綺麗なうちにみつかりますよ。あ、あと警察嫌いなんです。ちょっと嫌なもの見せたくて。」
じゃあ、お先に!なんて笑いながら柵から手を離そうとする彼女。咄嗟に、腕を掴んでしまった。
「ちょ、ちょっとまってよ。ほんとに死ぬの」
柵がミシリという音を立てている。彼女は上目遣いで僕を睨んだ。
「は?あんたも死ぬんじゃないんですか?」
最悪で最低なくらい、高圧的な声だった。
「だ、だって、こういうのって、止めてほしいんだよね?ふ 普通。僕、だから、止めようと思って、来たんだよ。」
僕の顔は完全に引き攣っていた。だって目の前で人が死にかけているんだ。しかも17歳の少女が。正直トラウマを植え付けられたくない、という本心もありながら。
「馬鹿言うなよ!ふざけるな!死にたいんだよ!死にたいんだよ!」
彼女は叫ぶ。僕の腕を振りほどこうとしながら。
「やっと死ねるのに!ここまでどれだけかかったか!あんたの身勝手な偽善で生きたくない!離して!生きたくないの!」
少しづつ静まり返って来た街に叫び声が響く。
「ち、ちょっと待ってよ!もうちょっとだけ、生きようよ!僕が絶対生きたいって思わせるから!頼むよ!」
僕も叫んだ。けれど彼女はその倍大きな声でふざけるな、無理、死にたい、を連呼している。
次の瞬間、案の定交番から警官が出てくる。
僕らの異様さに気づいた警官は、すぐに僕と彼女を歩道に引きずり下ろし、柵に結んだ縄を取った。
何をしているんだという怒声が僕たちの倍の声量で響いた。そして彼女を見ながら言う。
「まだきみは若いだろう、名前はなんだ、学校は。住所は…」
彼女は俯いていた。俯きながら、しっかりと僕を睨んでいた。
僕はどうしようも無い気持ちになった。ただ、警官の怒声だけが響くこの場所から立ち去りたい、と思った。彼女も黙っていた。
僕は咄嗟に彼女の腕を掴んで、走った。公園まで走ろうと思った。後ろから警官が叫んでいる。横を見ると彼女は僕について走っていた。真っ赤な頬をして。首にまだ縄が巻かれていて、その姿がとても滑稽だと思った。僕らはなんの会話も交わさずに、気づいたら公園の端まで走っていた。警官の姿はもう無かった。喉が渇いていることを思い出した。
あぁ、僕は水が飲みたいんだよな。