入院記録
点滴の針を何度も刺すこと、点滴が漏れること、そして腕がパンパンに腫れること、何度も採血をされること、手術のときの"ねむたくなる注射"、手術のあと麻酔が切れたとき、顎関固定を外したとき、200を超える抜糸をしたとき、化膿した場所を水で洗うとき、消毒、腰に管が入ったとき、尿道の管を抜くとき、目が覚めると骨盤に大きな金属器具が"生えていた"とき、姿勢を直されるときですら。全て痛かった。本当に痛くて痛くて、痛くて痛くて痛くて痛くて、痛い。堪らなくて こんなこと人間が経験することじゃないだろう、死んだ方がマシだと本当に何度も思った。
どうやったら帰れるか四六時中考えた。
どうやったら楽になるか四六時中考えた。
どうしたら痛みに脅えて、泣かなくていいようになるか考えた。
近づいてくる足音にずっと脅えて
毎日毎日何度も何度も泣いた
もう私は死にたくなかった。
けれど、「死にたい」以外の簡単に使えるこの感情の表し方を知らなかった。
ベットの上から転落死してしまいたい
簡単な自殺未遂をしたかった
死ななくて、痛くなくて、後遺症もなくて。
でも生きたいと思える方法。
そんなものあるのかな。
私の歪んだ顔、治るかな。
ツイッターで「死にたい」の文字を見たら、私と同じになればいいのに、なんてサイテーなことを思うようになった。
私と同じに、2ヶ月寝たきりで、1歩も歩けなくなって、食べ物もジュースだけ、歯がないから好きな物も固いものもたべられない。好きな人とも猫とも会えなくて、拷問みたいなことを毎日される。寝る時もとなりの人の叫び声で寝られない、帰りたいって泣いてもはいはいって済まされる、それが毎日、毎日毎日毎日。その環境になっちゃえばいいのに。って
けど、みんなそんな簡単に死なないんだ
みんなそんなに馬鹿じゃないんだね
本当に馬鹿だったな、と思う
死ぬならまだ日が落ちる前にね、という歌詞を気に入ってそこばかり口ずさんだ私は、午後8時に意識が朦朧としたまま、孤独だって、もっとだれかに心配されたいって、訳が分からなくなって飛び降りた。雨が土砂降りで、折れた骨に突き刺さって痛かった。怖かった。怖かった。寒かった。痛くて痛くて痛くて、朦朧とした。でも、どこか自分の中でニコニコして、カタルシスに浸って、よかったねって笑ってる自分がいて、それがいちばん怖かった。
だけどもう後悔する期間は過ぎてしまった。
泣いて泣いて泣いて苦しんでもがいてもなんにも戻ってこないしね、家族の信頼とか、猫と過ごせなかった2ヶ月間とか、会いたい人に会う予定も。金属のなにも入っていない身体も、歯も。当たり前にしていたことが、当たり前に出来なくなって辛くてたまんなかった。
今も涙が出ている。
私は大きな希死念慮とかはなくなったし、死にたくないと思うようになったけれど、それと同時にたくさんのものを失った。
これからの事がなにも想像できない。
死なないとは思うんだ、けれど。けれど。
きっともうすぐ退院するのに、退院している自分がまるで想像できない。
私はまだ1歩も歩けない。右足に体重をかけられない、だから全荷重の歩行はできない。まだギブスもしている。顎も頬も耳も麻痺して感覚がない。口だって全然開かない。咀嚼だって全然出来ない。顔が歪んでいる。元に戻るのか不安で不安で仕方ない。退院後の通院だってきっと死にたくなるほどつらいんだ。帰りたい帰りたいって嘆いていたのに、いざ帰れる見通しがつくと、このまま帰るのが怖くなる。
私は食べるのが大好きだから、美味しいものが食べたい。美味しいものをすきなだけ食べて、大好きな猫を満足するまで撫でて、世界一安心できて、しずかな場所で大好きな人とすやすやとねむりたい。本当にそれだけ。
今の私には全然余裕が無い
活字も読めないし、テレビも見れない、YouTubeすら集中できない。
毎朝毎晩心臓がどくどくして苦しい。
このまま死んじゃうんじゃないかって思う。
わからない、帰ったら幸せなのか。
帰っても痛いことは痛い
痛いことはつづく。
それでも私、やっぱり帰りたい。
やっぱり美味しいご飯は暫く食べれなくてもいい。
はやく、早く安心したいよ。