4月になれば

やっぱり1章ずつしか読めなくなっていた
藤代の名前はどうやって読むんだったっけ
それさえも忘れていて
どうにもいかずに頭をかいていた
煙草が燃え尽きる前に灰皿に押し付けた

"恋は風邪に似ている"
"気づかないうちに発熱をして
いつかは冷めてゆく"
"それは逃れられないものだ"

その文をみて、怖くなったんだ
わたしの言葉では表せない関係は
いつかは言語を作るよといった関係は
いつかは終わってしまうのかな
例外になんかなれないかもしれない
やっぱり次の章には進めなかった
読まなければよかったとすら思えた
カーテンが揺れて乾いた葉が舞った
秋の終わりを迎えていた
すっかり冷えきった指先を
なんとか温めようと袖に隠した
すべてを隠していたかった

綺麗な人のことを思い出していた
本を貸してあげると言われていたんだ
綺麗な言葉を発するひとだった
どこに住んでいるのかもしらない
彼が誰なのかも知らなかった
本の名前は忘れてしまったけれど
去年のクリスマスに自殺未遂をしたと言った
こんなふざけた幸せなんか終わらせてしまえと
それがすごく美しく見えたの
いつか貸してほしい
そんなやり取りをしたまま
日が経つにつれて気づけば
彼は詩的な表現をするわたしを嫌って
甘ったるい文章だ、酔いそうになる
そうやってみずからに一生酔っていろ と
そう呟いてあっけなく連絡をなくした
そのときから、自分の感性を愛せなくなった
彼のために読んでいた文庫本を破いて捨てた
もう思い出したくもないことだった
あの頃はきっとふつうじゃなかったんだって
そう思うしかなかったの

ふつうとはなんなのだろうか
誰かはただの言葉だと言った
誰かは生きてゆくことだと言った
誰かはそんなものないと言った
そんなことわたしはなんにも知らないように
彼もなんにも知らなかった
例えば 苗字も、漢字の在り方も
住所や電話番号すら知らない
けれどそれでよかった
それでも愛しいと思えている
知らなくたっていいこともある
知っていたいこともあったんだね

嫌いなものなんか知らなくていい
好きなものだけ知っていたい
それをお揃いにしたかった


夢に溺れていたかった


もしもし、元気?
祖母の弾んだ声が反響する
襖はちっとも音を防いでくれない
また よるに目が覚めてしまった
ベットに沈むとふわりと頬を撫でた
クマのぬいぐるみ
自分で買ったあの大きなぬいぐるみに
しずかにキスをした
寂しいときにキスをした
気づけば毎日の習慣になっていた

外に出て、駐車場をぐるぐると回ると
嫌でも閉鎖病棟が目に入ってくる
ときどき窓に人影が映ると
恥ずかしくなってしゃがんでしまった
なにに怯えているのだろう
それでも、夕方の日に沈むそれは
なによりもあたたかく見えた
なによりも輝いて見えた
無機質のくりかえしのなかでも
朝はきていた
軌道に沿ってゆっくりと廻っていた

あの夜をおぼえている
閉鎖病棟の、小さな部屋だった
わたしだけの、わたしだけに作られた部屋
中学生 として 唯一いれる部屋
そこにいればなにも怖くなかった
叫び声も泣き声も聞こえなかった
あの日もそこで勉強をしていた
中学2年生、理科、社会、数学
いつもの、わたしだけの夜だった
暗くて窓すら開かない 一人だけのよる
突然光が射したとき
ドアが開いたのだと気づいた
イヤホンをはずして振り返ると
顔を真っ赤にして泣く女の子が立っていた
わたしより3つも年上の彼女は
肩を震わせ、わたしの名前を呼んだ
最後の助け舟のように、わたしを呼んだ
看護師は困惑したようにこちらをみていた
そのときに気づいた
わたしはひとりにはなれないと
だれもわたしをひとりにはしてくれないと
都合よく扱われるのだと
彼女の幻覚と幻聴、過呼吸を治して
大丈夫だから、大丈夫だからね と
小人なんかいないよ わたしだけをみて と
毎日、毎日 そんなふうに手を握って、説得をして
意識が戻った彼女を抱きしめたら
それで出番は終わってしまう
あとは看護師が部屋に連れてゆくだけ
自室でねむらせて また朝が来る
そんなくるしい夜を繰り返しても
だれもわたしを褒めることはなかった
この病棟の主人公はその女の子だった
わたしは彼女Bくらいで
もしかしたら登場すらカットされている
そんな人生なのだと感じた
私が主人公になることなんて
この先ないと感じた

だれもいなくなった大広場は
テレビのひかりだけがチカチカ光っていた
深夜2時に重たいカーテンに隠れて
うっすらと見える星空をみていた
そのわたしに誰も気づいていなかった
ずっとずっと孤独だったの
ほんとうは気づいてほしくて
主人公になりたくて
何度も手首から血を流して
何度もわけもわからない薬を飲んで
何度も脱走をした
ヒモを持って首を吊る場所を探した
その側を看護師は通り抜けていった

もうわかっていた

吹き抜けから見える空を
灰色から落ちていく水滴をみていたら
やっと気づくことができたの
わたしは主人公じゃなかった
主演にも、主体にもなれなかった

わたしはこのひとたちにはならないと
将来はわたしみたいなひとを主人公にしてあげるんだと
わたしを、14歳のわたしを抱きしめてあげるんだと
強く思っていた、それだけで息をしていた
そんな夜が来るはずがないことなんて
気づきたくなかった
生きている意味なんかないことを
気づきたくなかった




ちいさいころ、夢をみてた

ファーストキスも初夜も結婚する人と迎えるのって
短冊にはすきなひとと結婚できますようにって
はじめてのデートはプラネタリウムだとか
遊園地、映画館、動物園、水族館だとか
ううん、別におうちでもいいの
手を繋いでいられたらいいな って
ディズニーランドで膝を着かれて
プロポーズをされますように、
こんな家も環境も全て棄てて
16歳で結婚をしたいなあ って
すきなひとと逃げていたいなあ って
そんな もも色の綺麗な夢だったんだ

すべて叶えてあげれなかった
すべて壊れてしまったよ


幼少期の願いすら叶えられなかったわたしに
わたしを、救えるのかな


きっと結果はでている
いつでもそれは決まっている
もうすべて忘れてしまおうと思った
目の前のひとだけ愛していようと思った
それだけでいいと思えたの
いつかは無くなるかもしれない
愛するひとが死ぬことにさえ気づかないかもしれない
それなら、そのいつかにわたしも死んでしまえばいい
そうしたらもう辛いことなんか起きないでしょう
きっと幸せなまま終われるって思うの



ねえ、将来のわたしへ


隣に愛するひとがいるわたしへ

今のわたしを忘れないで

わたしのこと覚えていて

思春期の淡い思い出になんかしないで

彼をあいしていてよ




15歳の、わたしより